藤原 紀子(ふじはら のりこ)
4月26日生まれ
出身:島根県安来市
血液型:A型
四魂:愛・親
趣味:古い街並みを巡る
頑張っていること:バレーボール
ニックネーム:のりちゃん
Blogには勉強会の様子や趣味の歴史探訪、ロケ地巡りなどをアップしています。
また、通信「のりちゃん便り」を作成しています!
- お客様視点で考える!リピート客を増やす仕組みづくり講座講師
- 人のパフォーマンスや能力を高めていく脳科学のプログラム
「メンタルラボ」メンター
楽しみにしていること
◆バレーボール
2011年2月から地域のママさんバレーボールのチームに入りました。
2つのチームに所属して楽しんでいます♪
◆重要伝統的建造物郡保存地区巡り
過去にタイムスリップしたような雰囲気を味わえるところが好きです。
そこでお店をされている方や、地域を活性化しようとされている方々のお話をお聞きするのも楽しいです。
奈良県橿原市の「今井町」、和歌山県有田市の「湯浅町」など何度も行きたくなります。
◆好きなドラマのロケ地巡り
朝ドラや大河ドラマなどで印象的なシーンのロケ地を探して巡るのが楽しいです。
景色の美しい場所が多いし、テレビで見たシーンとの違いを感じるのも楽しいです。
歴史探訪やロケ地巡りなどブログに書いています!

松本城もう一度行きたいです
◆お城巡り
厳かな雰囲気が好きです。
松本城の雄大な感じが心に残っています。
黒壁と白壁のコントラストがかっこいい!
◆温泉旅行
温泉なんて!と思っていたのは若いころ。
温泉につかってゆっくりするのは至福の時間。
客室に露天風呂がある隠れ家のような高級旅館の常連客になりたい♪
◆モーグルスキー

2006年2月トリノオリンピック モーグル観戦
転げ落ちることも多々ありつつ、

初めてのプラスノー体験
未だ怪我をすることなく楽しんでいます。
2006年2月にトリノで開催されたオリンピックの 男子モーグルを観戦に行って来ました!
以前はシーズンオフにも、プラスノーで練習するほどでした。
プラスノーは、プラスチックの人口芝のような足拭きマットのようなものが敷き詰められた斜面をスキーの板で滑るのですが、転んだら痛いので、結構怖いです・・(^_^;)
生まれ育った町と子供の頃の私

幼稚園卒園式の日
私は、島根県の安来市というところで生まれ育ちました。
周りは山や川、田んぼや畑に囲まれたとてものどかな田舎の町です。
安来節やどじょう掬いは、ご存知の方も多いのではないでしょうか。
子供の頃は、川に入ったり、田んぼ一面に咲いたレンゲの花で首飾りを作ったり、缶ケリや鬼ごっこをしたりして遊んでいました。
冬は雪がたくさん積もっていたので、雪だるまやかまくらを作ったり、雪合戦をしたりして外で元気に走り回っていました!
一見活発な子供のようですが、実は人見知りが激しく、小さい頃は隣のおじさんに会うだけでも泣いていたそうです。
幼稚園に行くときも、最初は泣いて大変だったみたいです。
小学校の時の思い出
1番好きな教科は体育。
授業以外でも、陸上、バスケット、バレーボール、水泳など色々なスポーツをやっていました。
その中でも、思い出に残っているのは水泳です。
実は、水泳は苦手でした。
それなのに、先生に「大会に出てみないか?」と声をかけられ、即「はい!」と答えてしまったんです。
練習では25m泳ぐのがやっとという状態で向かえた大会当日。
クロールで50m泳がなければいけません。
しかも途中で足を着いたら失格になるとのこと!!
「えーーーー、そんなの無理!」
でも、恥をかきたくない!
必死で泳ぎました。
25mでターン
息は苦しいし、手も足も重くて、
バッチャンバッチャンと音を立てながら
とにかく泳ぎ続け、なんとかゴールしました。
するとなんと3位で予選を通過。
準決勝でもう一度泳がなくてはなりません。
2度目は更に辛く、泳ぐというよりは、もがいているような状態でした。
多分最下位だったと思いますが、それでも50m泳ぎきりました。
そんな辛く苦しい、でもがんばった自分がすごいなぁと、今でも心に残っている体験です。
バレーボール人生 ~みんながいるからがんばれる!~
小学校の4年生の夏休み、友達に誘われてミニバレーボール教室に参加したのをキッカケに、同級生でチームを結成しました。
バレーボール協会の方がコーチを引き受けてくれ、毎週日曜日に集って練習をしました。
その頃は、勝つことよりもとにかくバレーボールが出来ることが楽しくて、コーチがいないときは魔球の真似事なんかもしていました♪
中学からは、部活に入って本格的に取り組むようになりました。
特に高校の時は、チームの目標を「全国制覇」と掲げているだけあり、それは厳しい練習の毎日でした。

沖縄国体に出場しました
練習はもちろん、先輩後輩の関係やチームの規則も厳しく、合宿や遠征も頻繁にありました。
肩や膝、腰など、どこも痛めていない人はいないような状態で、もうやめようかと何度もくじけそうになりました。
でも、励ましあえるチームの仲間、支えてくれた両親、応援してくれた友達のおかげで最後まで続けることができ、結果、インターハイや国体に出場することができました。
ひとつの目標に向かって、みんなで力を合わせ本気で取り組んでいくという貴重な経験をすることができました。
この経験が今の私の強い部分を作ってくれているのだと思います。
経歴
- 大阪商工会議所各支部、組合・団体、企業で、Windowsの基本、Excel、Word、PowerPointの使い方、POPの作り方、HP制作などパソコンのインストラクターを5年経験
- 企画・コンテンツ制作を担当したホームページが、製造業のポータルサイト「NCネットワーク」のホームページコンテストで最優秀賞を受賞
- 利益性を高める仕組みを作る経営塾「あきない実践道場」第1期(2007年開講)より運営全般をサポート。
- SKYW(お客さま活動)の仕組みを作り実践
- 2017年1月あきない新春合同勉強会でお客様活動の取り組み事例を発表
- 2017年5月・8月沖縄の日本人事様主催の勉強会でお客様活動の講義を担当
- 2018年より、あきない塾 リピート客を増やす仕組みづくり講座(月1回全10回)の講師を担当
- 2019年3月7日 高槻商工会議所にてお客様活用の研修を担当
ミッション
お客様に喜んでいただく方法をお伝えすることで、
元気な会社づくりを支援する!
私の父は、製造業の会社を経営していました。
私が中学の頃、父の会社が倒産しました。
でも、私は社会人になるまで、その事実を知りませんでした。
立て直すのにどれだけの苦労があったのか?
何も知らず不安を感じることもなく過ごしていました。
今、思い返しても、父から仕事の悩みなどを聞いた記憶がありません。
ただ1つよく覚えていることあります。
私が一人暮らしを始めて数年経った頃のお盆休み、久しぶりに実家に帰った時のことです。
父が私に「うちの会社もインターネットとか使って新しいことをやった方がいいのかなぁ」と、ぽつりと言ったことがありました。
その当時、父の会社は、大口のモノからどんどん中国へ流れて行って、仕事が激減していたんです。
そんな状況の中で父が出したSOSだったのではないかと思います。
その時私は、一言も言葉を返すことができませんでした。
その数年後、父は会社をたたみました。
工場が取り壊しになる前に、両親と見に行きました。
古い木の床、壁一面に立てかけられた生地や糸の在庫。
比較的新しい断裁機やミシン。
事務所には、私が子どもの頃に母が内職で縫っていた幼稚園の黄色いカッパや帽子など数々の製品が飾ってありました。
父や母はどんな気持ちで、そこに居たのでしょう。
私でさえ、胸が痛くなりました。
何ひとつ不自由なく育ててくれた父が困っている時、私は何もすることができませんでした。
せめて話を聞くことくらいできたんじゃないかと今でも後悔しています。
父に何もできなかった分、今、関わっている経営者の方々の少しでも支えになれたらと思います。
私のミッションは、父と同じように、家族や従業員、そのご家族を背負って一生懸命頑張っている経営者の方々の支えになることです。