地域を守るために50年かけた活動
こんにちは。
1位づくり戦略
NNAの藤原です。
現在の大和川が人工的に造られたものだとは
全く知りませんでした。
前回のブログで
豪雨による甚大な被害から復興した村
という内容を書きました。
幾度と起こる洪水
その洪水ができるだけ起きないようにするには
大和川の流れを変えるしかない!
そう考え、50年近くの年月をかけて、
大和川の付け替え工事を敢行した人がいました。
中 甚兵衛(なか じんべえ)という人です。
甚兵衛さんは、自分が生まれる前の年に
堤防が切れて大変だったこと、
大昔から何回も起きていることを
小さい頃から、
お父さんやお年寄りの方々に
よく聞かされていたそうです。
そして、自分自身も14才の時に、
家の近くの堤が切れるという
恐ろしい体験をしました。
先日、西日本豪雨の被災地では、
今でもインフラの再建が進まず
多くの人が避難所で暮らしていること
心に傷を負った子どもたちのことなど
ニュースで取り上げていました。
甚兵衛さんには、
幼い2人の子供がいました。
子どもたちが大きくなったときに、
自分と同じ苦しみや辛い思いをしないよう、
何としても解決しておきたかった。
それが、甚兵衛さんを突き動かす
力になっていたようです。
付替え工事の基点となった場所には、
現在、築留治水記念公園があり、
中甚兵衛の像が建っていました。

中 甚兵衛
現在の大和川は、1本流れで、
ほぼ真っ直ぐ海へ繋がっています。
しかし、江戸時代は
いく筋にも分かれていました。
その複数の川から流れてくる水が一か所に集まり、
淀川に流れ込むようになっていたようです。
土地の傾斜がないため流れにいきおいがなく、
大雨などで淀川の水かさが増すと流れが止まり、
水が入り込めずに逆流することもあったそうです。
そこへ、さらに大雨が降り続くと
水は溢れてしまいます。
また、複数の川が複雑に曲がりくねっているため
ちょっとした暴風雨ですぐに堤防が決壊してしまう。
そのたびに、村は飢饉に見舞われていました。
そこで、甚兵衛さんは、大和川の洪水が
できるだけ起こらないようにするには、
直接、海に流す必要がある、西へまっすぐ
大阪湾まで伸ばそうと考えたのです。
しかし、新しく川ができる場所にも
村人の家が集積していたり田畑もあります。
15年程の間に3回、
付け替え調査までこぎつけますが、
いずれも強い反対があり中止になります。
先祖からの土地が川底になるのは
乞食になってしまうと思いこんで、
死んだ方がましだと自殺をしたり、
気が狂ったりする人もでてきたそうです。
その2年後、誰も経験したことのないような
大洪水に見舞われました。
大和川や池のまわりの35ヵ所、
さらに淀川の堤防も1ヵ所切れ、
河内平野は全てどろ水に浸かったのです。
それまでは10年から15年に1度位の
頻度で起こっていた堤防が切れる水害が
毎年のように続くようになりました。
それでも、依然として大和川の付け替えには
反対する人がいて工事に至りませんでした。
幕府も、この問題に全力で取り組みましたが、
付け替えではない色々な工事を行ないました。
そして、もうすっかり大丈夫と思っていました。
付け替えを願い出ることも禁止したそうです。
しかし、甚兵衛さんは、
「またきっと大水害が起きる」と心配しました。
そして、決して、あきらめませんでした。
自分の2人の子供が励みになったようです。
甚兵衛さんの心配は的中します
1700年、1701年
連続して大水害が起こりました。
1701年は、一粒のお米もその他の作物も、
何も収穫できなかったそうです。
年貢がなければ幕府は収入がありません。
ようやく1703年10月
正式に付け替えすることが決まりました。
甚兵衛さんは65才になっていました。
幕府に認められるまで、なんと46年
複数に分かれていた大和川は、
川沿いの村が生活や農業に利用したり、
荷物を運ぶ船が行きかう交通路でもありました。
付け替え工事に伴って、
そういった川や用水路などの整備も行われました。
大和川のつけかえによって洪水から解放され、
農作物は安定して収穫できるようになりました。
また、新しい土地が開発され「わた」が栽培され
「河内木綿」が作られるようになりました。
一方で、昔からの土地を失った人もいます。
その人たちには同じ面積の土地を与えられても、
新たに開発したり、場所が不便だったりして
他人に売ってしまう人もありました。
甚兵衛さんは、
村に大きな利益をもたらしたけれど、
それは自分と同じ農民の犠牲の上に
できたこととであると
喜んでばかりはいられなかったそうです。
付け替えの翌年67才でお坊さんになり
みんなの幸せを祈ったということです。
自分の利益ではなく人のために、
村を、子供たちを守るために
一生を捧げた中甚兵衛さん
感謝と尊敬の念に堪えません。