なぜ、坂本龍馬の愛弟子 陸奥宗光が外務大臣のときに民間人に旅券を発行したのか!
その理由をblogに書いた。
こんにちは!
1位づくり戦略コンサルタント
佐藤元相です。
今日のテーマは
ランチェスター戦略成功事例_
100年続く老舗から学ぶ経営の秘訣
です。
先日、対馬空港からホテルまでの車中で
日高社長(対馬ビルサービス)が
「先生の宿泊するホテルは、太田商店と言って
明治創業で100年を越える会社ですよ」と
教えてくれた。
太田会長が五代目で七十歳。現社長が六代目。
早速、ホテルのフロントでアポイントをとり
太田商店の太田会長を取材させていただいた。
本日は取材記録を記す。
2018年6月13日
対馬ホテルベルフォーレにて
太田商店 太田会長
中国の歴史書「魏志倭人伝」には、
三世紀頃の対馬の様子が記されている。「對馬 千余戸有り、良田無く、
海物を食して自活し、
船にのりて南北に市てきす」とある。
対馬は山地と平地の比は九対一。
稲作ができない。米が獲れない。
当時、この国はとても貧しかった。
食べるものがなくて、多くの人が餓死した。
島民の暮らしを守りたい!
明治10年、太田商店 太田市三郎さんは
海を渡り、朝鮮へ米を買い付けにいった。
明治初期、国外へ出ることを許されたのは、
政府要人だけだった。
明治10年の旅券、パスポートが残っている。
創業者太田市三郎さんが、どのような
手段をもって手入れたのかは
いまでは分からない。
外務大臣は陸奥宗光!
しかし、海を渡り、米を仕入れ、
島民の生活のために、取り組んだことは、
事実として残っている。
当時、掛け売りで米を販売していた。
支払いを滞納する島民がたくさんいた。
それでも食べるモノがなくて、
米が欲しいと店にくる。
売り掛けが残っているので断る。
「米は渡せない」というと
お客は黙って帰っていく。
太田市三郎さんは、店を閉めた後で、
米を買えずに帰っていた人のところへいき、
そっと米を置いて帰ってきたという。
太田市三郎さんは、
売り掛けが蓄積して
米屋の経営が苦しくなっても
続けた。
話はまだ続いた。
また別の日に取材内容を記していきたい。
老舗 太田商店の取材を終えて私が
感じたことは、
140年前、島民の命を守るため
海を渡った男の奇蹟が今、
私の目の前にある。
陸奥宗光が発行した
パスポート。
お金が無くても、
小さなお店であっても、
より強く大きな夢を見ることができる。
世の中から、お金という
価値観を取り払ったら、
本当に大切なものだけが
後世に残るのだと思う。
強い思いをもって
事業に取り組むことで
可能性の扉が開く。
太田市三郎さんの
思いに触れた取材だった。
ランチェスター戦略では、
業績は熱意・決意・向上心など、
社長の願望で53%決まる!とある。
つづく。
さぁ今日はここまで!
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これほど嬉しいことはない。
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