モノづくりの価値をより高めたいと思っている町工場の社長へ
blogを書いた。
今日のテーマは、
ランチェスター経営戦略成功事例_
町工場は体験型で価値を伝える!
です。
刀剣ブーム
オンラインゲーム「刀剣乱舞」がきっかけで
若い女性の間で爆発的な刀剣ブームが
起きているという。
予想外の来場者数に困惑するニュースが
流れていた。
刀剣は古代日本が誇る世界一のものづくり
だと私は考えている。
刀剣は武器の性格を持っているが、
その一方では古代から権威の象徴であったり、
神聖性を示す象徴にも使われた。
古代から伝わる刀剣の展示が
奈良県立美術館で
開催されている。
「奈良の刀剣 ―匠の美と伝統ー」
(奈良県立美術館)
今から1500年前に藤原鎌足が春日大社に
奉納したとされる刀剣(黒塗山金作太刀)や、
井伊直弼がペリーの黒船来航後の
1854年に奉納した刀剣など
興味深いものが展示してある。
刀剣鍛冶800年の伝統を受け継いで
いる刀匠月山貞利の展示コーナーなどもあり
とても充実した内容になっている。
体験コーナーでは、
「刀匠の道具に触ってみよう!」
と、河内國平(かわちくにひら)刀匠が
東吉野で実際に工房で使っている道具が
公開されている。
ジバン(襦袢)を着てみた。
手槌(てづち)重さは1.3kg
向槌(むこうづち)
重さ約7kg
高く振り上げた槌が工房の天井を
割ってしまうこともあるほどだという。
打ち下ろしたときの威力は
8tもあるという。
まともに持つことさえも困難だった。
昔から今も変わらない伝統工具を使い
刀剣は造られている。
今もさびた鉄の匂いや、
手にしたときのグッとくる重さ。
そのとき思った。
道具に触れる体験をしたことで
観るだけでは感じなかった
歴史や伝統に向き合える。
「ロイヤルセランゴール」社の体験
マレーシアで
「ロイヤルセランゴール」社を視察したとき、
製作体験ゾーンで職人から錫製のマグカップを
つくる作業を学び、実際に体験をした。
今でもよく覚えている。
この体験を活かす!
町工場で視察に訪れた人やモノづくりに興味をもつ
見学者に対して、体験できるコーナーを用意すれば
よりモノづくりの価値が伝わるかもしれないのでは!
職人と道具、知識と技術、伝統と文化、
独自の専門性をアピールする
またとないチャンスだ。
実際の道具を使って、
モノを削ってみたり、
磨いてみたり。
計測してもらったり、
実際の職人作業を体験してもらう。
こんな体験コーナーがあれば
絶対にその工場は差別化に成功する!
じつは・・・
すでに・・・・
こうした取り組みを
実行している小さな町工場がある。
大阪の小さな町工場のチャレンジ
大阪生野区の吉持製作所 吉持社長は、
へら絞り加工専門の工場を経営している。

吉持製作所
生野ものづくり百景より
吉持さんは、
50年続くへら絞り専門の職人。
へら絞りとは、
平面状あるいは円筒状の金属板を
回転させながらへらと呼ばれる棒を押し当てて
少しずつ変形させる塑性加工の手法である。
(Wikipediaより)
吉持製作所は、
工業用部品の試作から量産品まで手がけている。
また さまざまな業界のデザイナーとコラボして
美術工芸品の制作など、活発に取り組んでいる。
工場には、取引先はもちろんのこと、
デザイナーや学生など、多くの人が
体験を希望に訪れる。

吉持製作所
へら絞り加工専門
モノづくり体験の学生さん
職人技を共有する。
工場の体験は、
職人のモノづくりへのこだわりや、
モノづくりにかける思いが
直接に伝わる。
観るだけでは感じ得ないことである。
カラダを使い、体験することで、
訴求力は高まる。
相手に強く印象に残る。
町工場は体験型で価値を伝える!
それが差別化対策となる。
小さな会社だからできることがある。
お金を掛けなくても伝えることができる。
体験するからこそ強く伝えることができる。
モノづくりの価値を高めるため
町工場は体験コーナーをつくろう!
吉持製作所
大阪市生野区中川2-16-14
http://yosimoti.com/
事業内容/金属加工、部品製作
板金加工技術の中のへら絞りを
専門に行っている。
照明機器の反射板、機械部品、
照明用シェード、電車部品など、
さまざまな製品、機械部品、
試作品依頼など注文が全国から
殺到している。
私の使命は、
日本のモノづくり企業をより
元気にすること!
さぁ今日はここまで!
お付き合いくださり
ありがとうございました。
編集後記
刀剣について触れておきたい。
奈良県立美術館で学んだこと。
刀剣は五ヶ伝という言葉を用いて分類する。
刀剣の鑑定や鑑賞の際、
山城伝、備前伝、美濃伝、相州伝、大和伝と
大きく5つに分類される。
太刀の需要
大和の有力な寺院は
広大な寺領荘園を持っていましたが、
その防衛のために仕える武士たちを率いるため
僧兵が組織されその武装の供給源として
多くの刀剣類の需要が生まれた。
太刀の危機
明治の頃の廃刀令、太平洋戦争後に行われた
占領軍の刀狩り。日本刀は日常から姿を消した。
こうした中、
モノづくりのこだわり、技術、伝統を守ってきた
職人たちに私は心から感謝の気持ちを
伝えたい。
ありがとうございます。