新年あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いします。
私たちは「小さな会社を強くすることで
日本はより元気になる!」をミッションに掲げ
全力投球で取り組んで参ります。
では、2018年最初のblogは山城からスタートです。
・山城blogの目的
山城のblogを通じて、その地域の文化や歴史に興味をもってもらえれば何より嬉しく思います。
また、興味をもった方の中から一人でも多くの方がこの町を訪れていただければより嬉しく存じます。
志賀の陣
信長を危機に追い込んだ朝倉・浅井軍
信長の戦歴の中で最大のピンチであったと評されている。
その舞台となったのは
姉川の合戦後の元亀元年1570年9月16日。
朝倉・浅井連合軍3万の軍勢を相手に
たった千人で戦った信長配下の森軍の砦が今も残っている。
砦は宇佐山城。
城主は森可成(もりよしなり)!森蘭丸のお父さん。
攻めてくる朝倉・浅井連合軍を坂本で迎撃したが
織田信治(信長の弟)と共に討死にした。
朝倉・浅井連合軍は宇佐山城を攻め上げたが
城を落すことはできなかった。

宇佐山城跡から琵琶湖を望む
宇佐山城を探訪する!
宇佐山城は永禄13年(1570年)ごろに築き上げられた山城である。
安土城の前に造られた石垣の城で
奇跡的に遺構が残っている。
標高335メートル。
山城探訪の計画を立てた。
現地の気温は3度。
晴れのち曇りのち雪。
午後2時から雪模様になるとあった。
縄張り地図
冬用装備
方位磁石
万全な準備をして車を走らせた。
名神高速道路 京都東出口から15分程度のところに
宇佐八幡神社がある。
駐車場に車を止めた。
境内に入り宮司さんに
「宇佐山城の大手道を教えて頂けませんか?」と
尋ねると「当時の大手道はありませんよ。
階段の下に山道が・・・、山道というか、
道にもなっていない道があるのでそこから
向かうといいですよ」と教えていただいた。

宇佐山城へ
ちなみに宇佐八幡宮の創建は
1065年で950年の歴史を持つ。

宇佐八幡宮

宇佐八幡宮 境内の様子 旗に鳩の印が?
いよいよ攻略
山道に入った。
直線的な道が続く。
折れた木がいくつも道に横たわっている。
人はいない。
道は整備されておらず
「バキバキ」っと足を踏み込みと音が鳴る。
細い枝を踏み分ける。
この先どうなっているのか?
ドキドキ感が高まる。
標識はない。
そういえば、宮司さんが
「ここはNHKの私有地なので」と会話の中で
話していた。
なるほど。
事前の情報で頂上はNHKの電波塔だと
いうことはわかっていたが、
私有地とはしらなかった。
地元の小学生が手作りした案内板がある。
かなり頼りになる。
方位磁石は準備しておいて良かった。
本丸までの道中、ほぼ、遺跡らしきものはない。
私の場合、「わぁーっ曲輪発見!」と一つひとつの
曲輪を探索しないと納得できないので、
30分のコースだと4倍の時間は費やすのだが。
それがない。
いっきに直線的な山道を登ること20分程度。
三の丸
Ⅲのエリアに入った。

宇佐山城平面図(作図:福島克彦氏)
北側Ⅲの曲輪後。
東に視界が広る。
空は曇っているが湖面の見晴らしが最高にいい!

宇佐山城三の丸より
ここから、京と大津の主要道が完全に見下ろせる。
朝倉・浅井連合軍の今日への南下を封印するのに
戦略的な位置になる。
三の丸から北へ向かった。
突出した腰曲輪。
比叡山の方向への視界が開けた。
本丸 400年前の石積み
本丸北の端
bポイント 石垣へ向かった。

宇佐山城 この急斜面によく石を積んだ
急な斜面で滑りやすい。
つまり攻めにくい。

宇佐山城 bポイントの石垣
石垣の石は比較的小さいものが積まれていた。
しかしこの山頂に石を築くのは至難の業。
石垣の石が小さいということは・・
いざとなれば、攻めてきた相手に
石を投げることも可能だということにもなる。
宮司さんが教えてくれた。
実用的な城だ。
さらに斜面の下に石垣がある。

隅石。比較的大きな石が積まれている。

bポイントの下段の石垣 高石垣か”急斜面ゆえに一気に高く石垣を積むことができず2段に構成されたのだろうか?
見応えがある。
天然石ではなく、石の表面が削られている。
この山で採掘し加工したのだろうか?

宇佐山城 裏込石が確認できる
排水性を高めるための仕組みだ。
長期的な城の活用を意識していたと考えられる。
さぁ二ノ丸 高石垣へ
aポイントの石垣へ向かう。
急な斜面落ち葉が覆っている。
木の枝にすがるように慎重に歩く。
途中、竪堀も確認できた。

aポイントの石垣 宇佐山城 見事だ

高さ2m以上、おそらく当時は4mから5mはあったであろう。
本丸跡
さぁ頂上の本丸(主郭)に到着!

標高335メートル
比高230メートル
本丸跡のNHK電波塔下に
発掘された石組みの遺構が確認できる!

NHK電波塔の下
屋敷跡らしき遺構が保存されている。
敷地の割に大きな虎口があったことが
記されていた。
櫓台だったであろう土塁なども確認できる。
探訪はここまで。
宇佐山城で数ヶ月間、1000人の侍が籠城したとあるが、
この小さな城にどのような暮らしをしていたのだろうか?
思いが巡る。
書籍にはこの山城は織豊系城郭で初期のもので、
瓦・石垣・礎石建物を併せ持つ貴重な遺構であるとあった。
八幡宮のシンボルが鳩?
なんで鳩が?宮司さんに聞いた。
「じつはこの宇佐八幡宮を建てる時に、
場所を探していて、教えてくれたのが
鳩だったらしいですよ。
ほんとは源頼義なんですけどね」と
宮司さんは笑った。

宇佐八幡宮 境内の様子
最後に
事前に本やWebで情報を集めていくことは
何より大切であるが、現場で暮らしている方々から
直接教えて頂くことがなにより愉しい。
とても親切に教えてくれた
宇佐八幡宮の宮司さんに感謝。
基本情報
城の名前 宇佐山城
遺跡 石垣 曲輪 土塁 竪堀
城主 森可成
場所 アクセス 東名高速道路京都東インターから15分程度
標高(比高) 335M(230M)
トイレ 宇佐八幡宮 駐車場にあり
コンビニ インター降りてすぐ
駐車場 宇佐八幡宮駐車場