中世戦国時代 山城探訪 但馬 黒井城
山城のblogを通じて、その地域の文化や歴史に興味をもってもらえれば何より嬉しく思います。
また、興味をもった方の中から一人でも多くの方がこの町を訪れていただければより嬉しく存じます。
・明智光秀に勝利した赤井直正が築いた黒井城
兵庫県下で山麓からでも石垣が望める中世戦国時代の山城があることを知った。
なかなかそうした山城は多くない。
この先に見える石垣が黒井城。
文献を調べて見ると「山城 黒井城 石垣 安穴積 野づら積み」とある。
中世戦国時代が大好きな私の 好奇心をかき立てるキーワードで満ちていた。

事前情報を集める
・黒井城にまつわる有名な戦いがある。
1568年 織田信長から派遣された明智光秀が丹波を攻めた。
迎え撃つ萩野(赤井)悪右衛門直正は黒井城に籠城した。
大軍を相手に「赤井の呼び込み軍法」と呼ばれる策で挑み勝利したと伝えられている。
大軍の猛攻を耐えたの山城がこの黒井城である。
赤井直正は戦上手な武将だと甲陽軍鑑にも記されている。

赤井呼び込み戦法 レベルは明智光秀以上となると実力ががよくわかる。
・場所 アクセス
大阪から阪神高速、中国道を走ること1時間程度。

興禅寺裏ルートを確認して資料をコピーする。
春日インターを降りて左折、国道を走るとすぐにコンビニエンスストアがある。
まずここで飲料の調達と書籍の縄張り図をコピーした。
お弁当や飲み物はここで調達しておくといい。

黒井城縄張り
住所:兵庫県丹波市春日町黒井2263
・攻略ルート
事前情報から興禅寺の裏から登るルートが
「大手道である」とキャッチした。
興禅寺は春日局にまつわる有名なお寺で観光客も多いという。
さて、興禅寺裏の大手道、三段曲輪から太鼓の曲輪、
東出丸、本丸。本丸の石垣を探訪する。
そして西の丸から北の丸。
北の丸から西の丸へ戻り、本丸へ。
西の丸がなかなか厄介で攻略はかなり手こずった。
下山は多田砦を目指すルートに設定した。

興禅寺裏ルートを確認
・スタート
では!標高356メートル 城山山頂 本丸を目指す‼️

登城口 黒井城 国指定史跡

黒井城の 大手道
登山口には石碑を中心に左右道がある。
石碑を背にして右側には急峻な登り階段が見える。
左側は少し穏やかならくらくハイキングコース。

黒井城 大手道

黒井城 赤井悪右衛門の城
大手道 険しい近道を選択した。

黒井城の本丸へ
階段を昇りきると800メートルの案内板があった。
私はこの日のために早朝のウォーキングで鍛錬してきた。
少々きつい階段でもへこたれない自信がある。
継続は力なり!
つぎに

黒井城は手強い一段一段の段差が大きく息が切れる
むき出しの岩が続く登りの道が現れる。
このルートはトレッキングシューズの
装備をお勧めする。自然を甘く観るな!

黒井城
ストックでバランスをとりながら歩くとちょうど良い。
そろそろ六段連なる曲輪があるはず。
縄張り図を確認した。

黒井城縄張り
写真の中央の下 尾根に丸い印が連なるところが現在地。
ここが曲輪である。
曲輪とは、敵の侵入を防備する基地のことである。
今もその曲輪の地形を確認することができる。
明智光秀が攻略に失敗した山城。
なんて素敵なところなんだ。

黒井城 三段曲輪
でたっ!
・三段曲輪跡
縄張り図を見ると曲輪は六段あるが、名称は三段曲輪跡とあった。
帯曲輪も確認できる。

黒井城 三段曲輪 帯曲輪

本丸まで600メートル
三段曲輪跡からは、削平され緩やかな道になっておりスキップもできる。
しかし、
このあとすぐに切り立った壁が待っていた!

まるでジェットコースターのような
「さすが赤井直正 やるよのぉ〜」つぶやきながら狭い道を行く。

敵の侵入を防ぐため山を削った跡 切り岸
人、ひとり歩くのが精一杯の道幅。
「ここで山の上部から弓でも放たれたのならひとたまりもない!」
なんて妄想しながら本丸へと攻めていく。
案内板がある。

「太鼓の段は右」
看板を確認して歩みを右へ進めた。
すぐに曲輪が現れるのかとおもいきや。
再び茂みの中へ身体を入れる。
道は整備されておらず、ここから先へ進めていいのかどうか躊躇した。
木は生い茂り、倒木もあって、あきらめて引き返す人もおおいのではないかなぁ。と思い歩いた。
しばらくすると
・太鼓の段跡
発見!
戦を知らせる太鼓の櫓があったのか!
山裾にある公園で遊ぶ子供の声がよく聞こえる。
山城の中腹にあるこの位置で太鼓を叩けば山を含めた村全体へ大きく響いたことだろう。

黒井城 東出丸
ここか太鼓の段から東出丸までのルートはさらに、木が生い茂り、道なき道となっている。
断崖、絶壁だ。かなり危険なルートだ。

太鼓の段から東出丸へ向かう
先へ進めるべきか躊躇した。
黒井城に関するblogを調べたら「このルートは断念した」というコメントが
いくつか掲載されていた。

太鼓の段から東出丸
ココは超難関ルート
慣れた人なら本格的に楽しめると思う。
攻めるには勇気と本格的な装備と体力が必要。
蜘蛛の巣、枯れ木、倒木、急な斜面を四つん這いになってはいずりまわり先へ進んだ。
しばらくすると。。
空間が開けた。
オォーーーーーーー。
・東出丸跡
これは。
カ・イ・カ・ン‼️

黒井城 東出丸跡 発見

黒井城縄張り
拡大

黒井城 東出丸
東南尾根に存在する四つの曲輪群。
縄張り図をみて虎口、土塁や切岸を確認する。
今もその遺構をハッキリ体験できる。
さぁ。
東西(左ルート)へ。
ここからいよいよ本丸へ!
右ルートは帯曲輪 、北の丸への道なのかどうか?
ここから本丸へ一気に攻め込む‼️

黒井城 本丸まで
ふと振り返った。
「おー!」素晴らしい。

黒井城 本丸から麓を望む
眼下に広がる世界は500年前の頃と変わらないのだろう。
まず最初の石積みを発見!
・二段の曲輪跡
高さ2メートルほどある。
野面積み石垣
小ぶりの石が丁寧に重なり合っている。
二段の曲輪 石垣を回り込むようにしてあるく。
・南東曲輪跡

黒井城 南東曲輪
南東曲輪は黒井城の見所の1つ。
隅石が算木積みで積まれている。
石垣は平積み。
道なりに歩く。

三の丸 黒井城
・三の丸跡
本丸 南東
平坦な広場になっている。
ここからはとても綺麗に整備されていてピクニックのファミリーもいた。
石垣、盛り上がった土塁に沿って歩くと二の丸の虎口(入り口)にあたる。
・二の丸跡
本城部は本丸 二の丸の二つの曲輪と、虎口、
腰曲輪 帯曲輪が備えられていた。
黒井城 最大の曲輪が二の丸
村の人たちが芝刈りをしていた。
石垣の隅まで丁寧に芝を取り除いていた。
ご苦労様です‼️
ここは二の丸と本丸とを遮断した堀切跡。
山を削って堀を作って、敵の攻撃から本丸を守った。
少しくぼんだ所がそこに当たる。
本丸

但馬 黒井城 本丸

保月城跡 黒井城跡
本丸から城下町を望む。
・交流
地元の方が草刈りをしていた。
私は「おはようございます。ご苦労様です。見事な石垣ですね」と声をかけた。
大勢の人が薮や石垣の周りを丁寧に刈り込んでいる。
ある年配の方が「昨日は綺麗な雲海が見えましたよ」と教えてくれた。
黒井城(356メートル)は竹田城(354メートル)、標高はほぼ同じで、「ここ隠れ天空の城 なんです(笑)」と誇らしげに話してくれた。
「元旦の朝陽の位置 今頃はこの辺 ですよ」と初日ノ出には数十人が本丸で新年を迎えていると言う。
続けて「城の本当の入り口はここです」と私の持っているナ縄張り図を手にして教えてくれた。

黒井城 本丸 虎口

本丸から城下を見下ろす
本丸 南向き 虎口の石垣
震えるほどに美しい^ – ^
私は西の丸のルートがわからなかったので
「どの辺から攻めればいいですか?」と手を上げて方向を確認すると
「整備していませんが、(あなたは)慣れているようですから大丈夫でしょう」と
小さなくぼみを指差した。
マジか!
闘争心にスイッチが入った。
現代まで凍結された中世戦国時代の山城が私の前に現れた。
つづく。。
続きはこれから書き足していきます。
・黒井城の魅力
尾根に張り出した小さな出城連携しているところが中世戦国時代の山城らしく興味深い。
本丸、東出丸や北の丸、西の丸と出城が互いに連携するように通路が結ばれている。
戦闘モードになると分散していた兵士が局地に集中する構造である。
少ない兵士が有機的に連携して戦える。
まさに弱者の戦略だ。
基本情報
城の名前 黒井城
石垣 積み方 野面積み
城主 赤井直正(この武将の時が1番有名)
場所 アクセス 中国道春日インターから10分程度
標高(比高) 356M
トイレ 興禅寺駐車場にあり
コンビニ 春日インター降りてすぐにある
駐車場 興禅寺に無料駐車場あり