真田丸ツアー2017
大阪城を後に、玉造稲荷神社へ
玉造稲荷神社は、豊臣時代の大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家からあつい崇敬を受けていたそうです。
大阪城代が入城する際必ず参拝したり、江戸時代には伊勢参りの出発点とされました。
「玉造」ではなく、「玉作」という漢字が使われていました。この一帯は古代、勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという言い伝えもあるようです。
豊臣時代、大坂城三の丸にあたる玉造稲荷神社の南西に千利休の屋敷があったと伝えられています。
第二次大戦や阪神大震災により基礎が損傷し、上部と下部を別に祀られたそうです。
見所がたくさんありました。
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