庚申信仰とくくり猿の金輪院・ 小泉庚申堂
こんにちは。
1位づくり戦略 NNAの藤原です。
小泉の庚申さん(こうしんさん)と呼ばれ
親しまれている金輪院(こんりんいん)へ
行ってきました。
金輪院は、大和小泉藩の第2代藩主
片桐貞昌(かたぎり さだまさ)の家臣で
茶人の藤林直良(ふじばやし なおよし)が
1659年に創建した天台宗の寺院です。
片桐貞昌(石州)が建立した
茶道石州流発祥之寺「慈光院」の
すぐ近くにあります。
慈光院の記事はこちら
山門の彫刻に目を奪われました。
住職さんがいらっしゃったので、
色々教えていただきました。
本尊の青面金剛(しょうもんこんごう)像は、
貞昌の父 片桐貞隆が家蔵の什器を
焼き捨てたとき灰の中から発見されたと
伝えられているそうです。
門前に「一國一宇庚申」と刻まれた
石標がありました。
大和国(現在の近畿地方)に一つしかない
庚申信仰(こうしんしんこう)の総道場です。
中国の道教から生まれた「庚申信仰」
人の体の中には「三尸(さんし)」という
3匹の虫が潜んでいると考えられていました。
この三尸は、
人が死ねば自由になれるのです。
庚申の日だけ、人が眠っている間に
体から出ることができ、
天に昇って、閻魔大王に
人間の悪行を報告するそうです。
すると、閻魔大王は、
その人の寿命を縮めるのです。
これは、怖いです!!
そこで、三尸の虫を食べるとされる
青面金剛を祀ったり、庚申の日には、
寝ずに神仏に祈りを捧げたりする
庚申まいりが始まったそうです。
それが、次第にみんなで集まって、
夜通し眠らず和歌を詠んだり、
酒宴を行うようになったとか。
戦前、庚申の日には
門前市の店がずらりと並び
おおいに賑わったそうです。
戦後は衰退しましたが、
地元の方々の熱意で平成17年秋、
庚申参りが復活しました!!
徐々に参拝者も増えつつあるそうです。
庚申の日には様々なイベントが
催されているそうです。
くくり猿
表門の瓦にはお猿さんがいますよ!
住職さんがおっしゃいました。
一緒に見に行きました。
瓦にも猿の文様がありました。
歴史を感じる釣り鐘がありました。
戦時中、多くの金属類が
武器の材料として回収される中、
この釣り鐘は回収を逃れたのだと
住職さんが教えて下さいました。
釣り鐘にも猿がいると聞き見に行くと
「見ざる、言わざる、聞かざる」の
3匹の猿の文様がありました。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の
三猿も庚申信仰の神様として
祀られることが多いようです。
昔から猿は「厄が去る(猿)」といって
縁起のよい動物として扱われてきました。
以前行った比叡山の麓に鎮座する
日吉大社にも魔よけの象徴として、
「神猿(まさる)」と呼ばれる
猿が祀られていました。
このお猿さんの由来は、
青面金剛の命を受けるのが白蛇
その使いとして走るのが猿
猿は動き回りじっとしていないので、
「くくってご猿」または「くくり猿」と
なったそうです。
なんか、かわいそうな気がします…
お土産に、くくり猿のお守りを
いただきました。
このくくり猿のお守りは、
地域で暮らすおばあさんが、
皆んなのためになるのならと、
自分の着物の生地で一つ一つ
手作りされたそうです。
おばあさんはもう旅立たれましたが、
この地域がいつまでも元気であるようにと
ご住職にたくさんのお守りに託されました。
おばあさんの真心がこもったお守りです。
その想いを私も受けとりました。
くくり猿のお守りと一緒にいただいた案内に
欲望がおこったら、合掌して、
庚申さんを念じて真言を唱えてください。
おん でいば やきしゃ ばんた ばんた
かかかか そわか
願い叶いましたら、庚申堂へお送りください。
念を抜いてお焚きあげいたします。
と書かれていました。
三尸の虫に報告されそうな欲望がおこったら
唱えたいと思います!