隠国の初瀬(こもりくのはせ)」
と呼ばれていた地域
こんにちは!
1位づくり戦略 NNA
SKYWアドバイザー 藤原です。
前回は、奈良県の長谷寺の近くにある
「天照大御神(あまてらすおおみかみ)
初降臨の地」について書きました!
万葉の時代、この長谷寺のあたりは
「隠国(こもりく))の泊瀬(はつせ)」
とよばれていたそうです。
隠国は、初瀬にかかる枕詞で
「山々に囲まれた地」と言う意味です。
今も、こもりくの里と呼ばれていました。
こもりくの里の探検です!
長谷寺へは、長谷寺駅から徒歩17分
階段を下っていくと門前町があります。
自然豊かな風景に癒されます。
歴史を感じる古い神社がありました。
長谷山口坐神社
(はせやまぐちにいますじんじゃ)
初瀬川にかかる朱色の橋、趣があります。
橋を渡ると、鳥居がありました。
ここからは神の領域ですよ、と
言われているような気がしました。
鳥居の横に
元伊勢
磯城伊豆加志(厳橿)本宮伝承地域
と書かれた石碑がありました。
磯城(しき)は初瀬川流域の古い名称です。
参道の階段を登りながら
こもりくの里のイメージが
膨らんでいきました。
境内中央には拝殿があります。
拝殿の後の丘の上に本殿が見えました。
長谷山口坐神社由緒記
長谷(はせ)山口神社由緒(ゆいしょ)記
当神社は長谷山の鎭(しづめ)の神として太古より大山祗(おおやまつみ)の神を祭神としている。
第十一代垂仁天皇の御代倭(やまと)姫の命を御杖として、この地域の「磯城嚴橿の本(しきいつかしのもと)」に約八ヶ年、天照大神をおまつりになった時、随神としてこの地に天手力雄(あまのたぢからを)の神、北の山の中腹に豊(とよ)秋津姫の神をまつる二社を鎭座せられた。
長谷寺縁起やその他の古文によるとこの地方は三神(みかみ)の里 川は神河、この附近の淵(ふち)は神河浦と書かれている。
第四十五代聖武天皇の天平二年(西暦730年)大和大税帳には、長谷山口神社の名が見られる延喜式内社(えんぎしきないしゃ)である。近世になり明治四十二年初瀬平田(ひらた)にあった豊受神社の豊受姫の神を合祀されている。
当神社は由緒は深く五穀豊穣(ごこくほうじょう)商売繁昌の神としてうやまはれ、国や家々の安泰と繁栄を祈願し氏子里人の守り神として、あまねく人々の敬い奉るところである。
こもりくの里
ステキなところです。
この記事を書いた人

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