今日のテーマは「壬申の乱と地域活性化」です。
こんにちは!
1位づくり戦略コンサルタント
佐藤元相です。
壬申の乱と地域活性化
関ヶ原の戦い以前の戦い
関ヶ原で古代日本の天下分け目の戦が
あったことを知っていますか?
「先日、その遺跡巡りをしてきました」と
松本で研修をしていたとき受講生のひとりが
教えてくれました。
私が歴史好きだと知って
休憩時間の間に話をしてくれました。
関ヶ原の戦い 慶長5年9月15日(1600年)
豊臣家と徳川家の運命を賭けた戦いは有名です。
映画やドラマ、NHK大河ドラマでも幾度も
取り上げられていますね。
それ以前に関ヶ原で何の戦いがあったのか?
知っていますか?
私は知りませんでした。
遺跡発見
「関ヶ原で古代日本の天下分け目の戦が
あったことを知っていますか?」
この問いから、
繋がった出来事がありました。
先日のことです、
岐阜県関市にある企業の営業研修で
関観光ホテルへ向いました。
「まもなく関観光ホテルです」と
ドライバーの方に声を掛けてもらったとき
ある看板が目に入りました。
気になって観に行こうと思いましたが、
研修の準備があるのでやめました。
しかし・・・
ずっと気になっていました。
研修のお昼の休憩時間の合間に、
少し時間に余裕があるので
看板のあるところへ駆け足で行きました。
すると!
壬申の乱に深く影響を与えた豪族の
史跡後だと分かりました。
壬申の乱は古代日本最初の内乱
じつは・・・関ヶ原で戦っていたのです。
令和元年(2019年)からさかのぼること1347年前、
天武元年(672年)に壬申の乱が勃発しました。
大友皇子(後の弘文天皇)と
大海人皇子(後の天武天皇)の跡目の戦いです。
古代日本で起きた最初の内乱(甥と叔父の戦い)と
言われています。
大海人皇子は、現在の関ヶ原の
野上行宮(のがみあんぐう)に本陣を置き
大友皇子と戦いました。
桃配山
桃配山は関ケ原合戦の際に徳川家康が布陣した山
として有名ですが、その語源は壬申の乱の際に
大海人皇子が兵を励ますために
桃を配ったという逸話から付いたものです。
しかし、「日本書紀」等で記述はなく、
その根拠については未だ謎に包まれています。
(関ヶ原歴史民俗資料館のホームページより)
話を戻します。
その際、大海人皇子を支え
勝利に導いた豪族の1人が
美濃の身毛君広(むげつきみひろ)と
言われています。
その功績から地位を固めた
身毛家(むげつけ)は弥勒寺(氏寺)を建立し、
役所をここに整備しました。
その役所跡が関観光ホテルの周辺にあるのです。
弥勒寺
弥勒寺官衙遺跡郡(みろくじかんがいせきぐん)
律令体制を支えた地方官衙遺跡の典型
官衙(かんが)とは役所のことです。
近年調査が行われ貴重な遺構がたくさん
発見されています。
「天武元年に日本で最初の内乱!ですよ」
関市で暮らしている地域の方に
弥勒寺のことを聞いてみましたが
ほとんどの方が知りませんでした。
日本の各地域には古代の文化や歴史が
たくさん埋もれています。
地域活性化や地域おこしで様々な取り組みが
全国で行われていますが、成功しているモノは
多くはありません。
本当に価値あるモノを見いだせていないのが
現状かもしれません。
令和は地域を含めみんながより良くなることを
考え取り組む時代だと想っています。
地元密着の会社はより地域の文化歴史を
深掘りすることで活性化に寄与できるのでは
ないでしょうか。
この10連休の合間に地元の文化や歴史に
触れる機会をつくるのも良いかもしれませんね。
さぁ今日はここまで!
私の経験や知識、考えが、
あなたの人生に少しでも
影響を与えることがあるのであれば
これほど嬉しいことはありません。
本日も、お付き合いくださり
ありがとうございます。