前号の「人生で私が目指している人は
いつも竹刀を持っていました」です。
体験談に多くの方からメッセージを
いただきとても嬉しく感じています。
ありがとうございます。
もうしばらく私の人生を
振り返りたいと想います。
どうぞお付き合いください。
今日のテーマは「日銭と温かいお弁当」です。
奈良時代の元服の儀式
京都河村能楽堂にて
第22回 メキキの会の立志立命式が
執り行なわれました。
厳粛な雰囲気の中、
大切な仲間や家族に立会人と
なっていただき、私は立命者として
自らの志に寄り添い生きることを
神の御前にて奉納いたしました。
立命式は「過去と現在の統合の場」です。
私の体験の一つを伝えました。
私が中学一年生の時、
父は肝臓の病気で入院し、
勤めていた会社を辞めました。
毎日の暮らしが追いつかなくて
母は朝から深夜まで仕事をしていました。
仕事をした報酬はその都度、
現金で受け取っていました。
その日に受け取ったお金で
市場で買い物をして生活を
つないでいました。
中学生になった私に
手作りの弁当を持たせたいと
昼前に職場を抜けて
自宅で料理をして弁当箱を
届けてくれていました。
12時20分に校門で待っていると、
母は自転車に乗って、
温かい弁当を毎日持ってきてくれました。
疲れた時もあったと思います。
そんな時は
「ごめんな。これでパンを買って食べて」と
500円を手渡されました。
じつは、この時間帯にお金をもらっても
校内の売店には、わずかなパンしか
残っていません。
パンの時は、私は食事を済ませたふりをして
校庭でサッカーをしている仲間に加わり
お昼時間を過ごしていました。
また500円は万が一の時のために
貯金しました。
ある冬の日、校門の前で弁当を
待っていましたが、約束の時間を過ぎても
母が来ません。

校門の前(大阪市立東生野中学校)
休憩時間が半分を過ぎて、
キキーッと自転車のブレーキ音とともに
母の姿が現れました。
ホッとしたのと同時に、
反射的に「何してんねんな!」と
強い口調で感情をぶつけてしまいました。
「ごめんな」と母は観たことのないような
哀しい顔をして謝りました。
帰る後ろ姿をみたときに
髪に寝癖の後が残っていました。
私の心の中は乾いたような感じに
なりました。
私は届けてもらった弁当を持って
誰もいない場所を探しに校舎の裏庭へ
行きました。
コンクリートの壁に持たれて座り、
ドカベンのフタを開けると、
湯気が「ふわぁっ」と目の前に
広がっていきました。
その湯気を見ていると
目が濡れていくのを止めることが
できなくなりました。
弁当箱を抱えるようにして
一気にご飯を口に放り込みました。
空になった弁当箱を横に置き、
校舎の裏庭で抱えた両膝に顔を埋めて
午後の授業が始まるギリギリまで
座っていました。
「なんでオレだけこうやねん!」
こうした環境で育ったことを
なんども恨みました。
「早く大人になって自分が稼いだる」
家族を楽にさせてやりたいと
強く思いました。
しかし現実は何も出来ません。
またどうして良いのかさせも
分からなかった。
ただ今を信じて生きるしか
なかったのです。

壁にもたれて弁当を食べたところを訪れました
両親は私たち兄弟を育てるために
一生懸命に働いてくれました。
しかしどうにもならないことが
幾度もあったと思います。
辛抱強く生きてきた両親の姿に
今は心から感謝しています。
過去の統合
過去を全てを受け入れ今を生きる。
立会人の方々に見守られ、
私の生きてきた様を語り奉納しました。
これからは、自らの志に寄り添い、
よい世の中を創り出すため命を使います。
令和元年五月一日
追伸、
立志立命式とは・・
自らの人生を統合し、
良い世の中を創るために志を立てる場です。
立志式は、奈良時代の元服の儀に
由来するといわれます。
かつて、大人になるということは
志を立てることでした。
この立志式は終戦まで
千数百年にわたって行われてきました。
日本人は千数百年にわたって
「志の民」であったのです。
しかしながら、戦後、日本の教育から
志という言葉が失われ、
今ではほんの一部の中学校で
行われているにすぎません。
立志立命式は、古来の伝統を受け継ぎ、
大人の立志式として現代に蘇らせ、
日本文化の新しい様式を創ろうという試みです。
さぁそろそろ今日は
このへんで終わりにします。
本日も、お付き合いくださり
ありがとうございます。
私の経験や知識、考えが、
あなたの人生に少しでも
影響を与えることがあるのであれば
これほど嬉しいことはありません。