本日のテーマは「豊かで幸せな人生とは何か」です。
9年前のある日のこと、
「学校へいきたいねん。応援してくれるか?」と
母から突然に連絡がありました。
孫といっしょに役所へ行って
「おばあちゃん 字かかれへんの?」と
言われたことがきっかけでした。
その後、母は大阪市立天王寺夜間中学校へ
入学しました。
じつは母は小学校を卒業していません。
幼いころに孤児院に預けられ育ちました。
小学校2年生のときに、理不尽な体罰やいじめ、
貧困などから、幼い弟を連れ
孤児院を抜け出しました。
それから親戚を頼り、大阪の縫製工場で
働き始めました。
そして19歳のときに見合いで父と出会い、
弟の面倒を見てくれるのならと
父と結婚し私が生まれました。
父は若いころ商売をしていました。
小さな成功体験もあったようです。
しかし良いときは長く続きませんでした。
父はカラダが弱く入退院を繰り返し、
家計は苦しく、食べることにも困るような生活でした。
父は47歳で永眠しました。
その後、母は朝・昼・晩と働いて私たち兄弟を
育ててくれました。
がむしゃらに母は生きてきたと想います。
「今を生きるために働き」、
「食べるために稼ぐ」、
「身を粉にして働かなければならない」
絶望感に打ち負かされないよう一生懸命に
働いてきたと想います。
生活は崩壊ギリギリのところを
綱渡りのように歩んでいました。
やがて私は高校を卒業して働き
家計を支えました。
弟や妹も成人となり、
結婚をして新しい家族が
増えていきました。
・人生やり残したくない!
「人生やり残したくない!」
「学校へ行きたいねん」と宣言してから
何かにとりつかれたように母の行動力や
意思力は加速しました。
家から学校までの距離は
3キロほどありました。
膝が痛いといいながらも一生懸命に
自転車にのって夜間学校へ行きました。
「毎日が愉しいわ」
「友だちもたくさんできた」
「先生がむちゃ親切やねん」
ヘトヘトな日もあったと想います。
しかし電話から聞こえる母の声は
いつもイキイキしていました。
私はその声を聞くたび、
「よかったなぁ」とこころの
安らぎを感じていました。
通学が始まってしばらくしてから
母の誕生日に電動自転車を
プレゼントしました。
それからずっと
電話で話すたびに「ほんまに助かってるわ」と
繰り返し言うのです。
電動自転車くらいでと想っていましたが、
母の喜びに触れることで
私は「役に立って良かった」と自分の気持ち
が満たされていくのを感じていました。
ありがたいことです。
・卒業式
とうとう最後の日が来ました。
母が楽しく通っていた夜間学校の
卒業証書授与式です。
今日で学校に通うのは最後です。
平成31年3月14日 第50回 卒業証書授与式
大阪市立天王寺中学夜間学校の体育館で
行われました。
舞台の前にイスが7つ並べてありました。
背もたれ部分に卒業生の名前を大きく書いた
白い紙が貼ってありました。
その一つに母の名前もありました。
「卒業生入場!」
教頭先生のかけ声で、
体育館の入り口から7名の卒業生が
手を前後に振りながら元気よく一列に並び、
歩いてきました。
母は膝をかばうようにゆっくりと歩いていました。
卒業生全員が指定された席に座ると
校長先生の挨拶が始まりました。
卒業生の人の中には、
勉強したかったけれど、
それが許される環境ではなかった人、
戦後の激動の時代をくぐり抜けてきた人、
中国や韓国から渡ってきた人、
さまざまな環境を乗り越えて
よくがんばってきました。
その言葉を聞いて母はハンカチを顔に当て
ました。
つぎに、母は卒業生を代表して
「思い出の言葉」を読み上げました。
桜の花が咲く頃、万感の思いで
入学したことが昨日のことのように
想います。仲間とともに教室に入り、
教壇に先生が立たれ光景は
言葉にならないほどの
喜びがわき上がってきた瞬間でした。乾いていた私たちの胸の中に、
清らかな水が染み入る感じがしました。優しく教えてくれた先生方や
暖かく迎えてくれた先輩方、
クラスの仲間たち、
みんな生まれた環境や文化は違いますが、
お互いに助け合い、教え合い良き友として、
成長してきたと想います。教室にはいつもみんなの明るさと
愛で溢れていました。クラスのみんなと一緒に
勉強していくうちに、
いつのまにか童心に返っていました。新鮮な気持ちで迎えた新入生歓迎会、
春の遠足、連合運動会、自分の作品を
見つけて感激したこと、盆踊り、
ビンゴゲームで盛り上がり、
食文化交流会ではいろんな国の
料理を食べみんなと交流
できました。修学旅行も参加して夜間中学でなければ
できない大変愉しい思い出となりました。
昨年夏に脳卒中を患い入院していた母ですが、
昔と変わらずハリのある元気な声でした。
今年で77歳になりました。
母の感謝に満ちた声は体育館の片隅に座っていた
私の心の奥底にまで響きました。
・愛されている
この9年間、母は本当によく頑張りました。
弟の子ども(孫)を自転車に乗せて
毎日、幼稚園の送迎をしてから学校へ
通っていました。
時が流れ大きく成長した孫たちは、
おばあちゃんの卒業式に花束をもって
卒業式の会場へお祝いにやってきていました。
母の顔が笑顔でくしゃくしゃでした。
人生で「人の幸せ」を言葉で
表現することはカンタンではないけれど、
この目の前に見える情景こそが
人生の財産であり「人の幸せ」なのだと
私は想いました。
・学校へいきたいねん
母は夜間中学校で学ぶことがきっかけで、
信頼できる先生や友だちを得ることができました。
神様が母の人生にかけがえのない
「喜び」を
与えてくれたと私は感じました。
卒業式が終わって、
「マミ(おばあちゃんのこと)写真撮るよ」と
孫たちが母の顔に自分の顔を寄せて
一緒に撮影する姿がずっと続きました。
「お母ちゃん 愛されてるな」とそばで観ていて
私まで幸せな気持ちになりました。
母は生まれてこれまでずっと
「苦しいことだらけの人生」を
耐えて生きてきたのだと
想っていました。
しかし、今日の卒業式で
母は「日本一幸せな人」だと
確信しました。
「人は成長したいという強い想いをもって
行動すれば、より喜びに満ちた人生を
創り出すことができる」と
母の卒業式で想いました。
辛いことや理不尽なことも
沢山あったと思います。
しかし母は愚痴を言うこともなく、
いつも明るく天真爛漫でした。
私もその影響を強く受けています。
最後に・・・
私たちの生活は貧しかったけれど、
いつも笑いの絶えない家族でした。
いつもお金には困っていましたが、
心豊かに育ててもらいました。
母の子どもに生まれてきたことに
こころから感謝しています。
今日はここまでです!
私の経験や知識、考えが、
あなたの人生に少しでも
影響を与えることがあるのであれば
これほど嬉しいことはありません。
本日も、お付き合いくださり
ありがとうございます。