【紀州守護職の城 大野城 紀北有数の山城】
守護の山名義理(やまなよしまさ)が、有田郡以南を拠点にしていた南朝方の勢力を抑えるために守護所を永穂(いまの和歌山市)から移した。
14世紀後半。この山城は尾根の上に2つの曲輪群をもつ。「東の城」と「西の城」と呼ばれている。
比高410~430メートル
見所は、東の城の西の城 4メートルの切り岸
堀切 竪堀 横堀 積み石 畝状空堀郡(うねじょうからほりぐん)など当時の遺構がそのまま確認できる。
まずは城を攻略する前に事前準備。
コンビニで縄張り地図をコピーして山城の全体像をイメージする。
中世山城は全国に無数あるが、書籍や文献で紹介されているのは、
ごくわずか。
不足する情報はブログを検索して確かめる。

近畿の名城をあるく大阪・兵庫・和歌山編
吉川弘文館はバイブル
アクセスはJR紀勢本線「海南駅」下車、徒歩1時間半
海南市大野中という情報のみ。
現場に行けば何とかなると車のナビにを走らせた。
海南駅で駅員さんから情報収集するが有効な情報がない。
大野中の交差点に地元によくある小さな運動具販売店を発見した。
車を止め「大野城に行きたいのですが・・」と尋ねたらまったく聞いたことがないという。。
大野城は地元でもほとんど認知がないことが分かった。
この段階で1時間ロス。
気を取り直して「雨の森 森林公園は知っていますか?」と聞いた。
ビンゴ!当たった。
ブログ情報に
【海南市と有田川町を結ぶ県道18号線から「雨の森 森林公園」に向かう林道があり、入口に小さな「大野城跡」の道標が出ている】
と情報あったことを思い出した。
運動具販売店の方から教えてもらい
海南から有田へ向かう国道370号線 重根南の交差点を右折した。
ここからが県道18号線となる。

雨の森 森林公園へ向かう
しかし。。。森林公園の案内看板がない。
県道18号線に入って10分ほど車を走らせると右側に看板を見つけた!

森林公園の看板の下に案内板を発見! 小さい!
看板を右折して車は山を登った。
しばらくすると森林公園に到着した。
ここは和歌山県夕日100選に選ばれている場所だった。
ここに車を止めて大野城を目指すかどうか迷った。
距離感がわからない。
海の見える散歩道はどれくらいの距離なのか?
また雪も降りだしたのでこれまで走ってきた県道の続く限り走行してみることにした。
行き止まり。脇道に車を止めた。道が二手に分かれている。どちらが大野城なのか?
左の山沿いの道を選び歩いた。標識も何もない。
しばらく歩くと。。出た!

きのこ道と分かれているところに車を止めた。そこから歩いて10分したところに入り口を発見した。
しかしどこから入り口なのかよくわからない。
左側に小高い山がある。
ペンで書かれた看板を発見。
看板の階段を登り山の中は踏み込んだ。
道のない山の中を歩く。

入り口の看板から山の中を歩くこと10分程度。
大野城 東の城に到着した!

案内があるけれどよくわからない

大野城 東の城 本丸
後ろには海南の町が広がって見える
東の城の1番東の曲輪群は3段の曲輪で構成されている。
当時なら海南の町が一望できただろう。
3段の曲輪の保存状態もよく。北へ向かって(海南の町)曲輪は伸びている

東の城の第1曲輪の東斜面に残る石積み跡

大野城縄張り地図 作図:新谷和之氏
曲輪群を抜けて西の曲輪へ向かう。

大野城 東の城 曲輪群の堀切4メートルほどある

堀切の下り 登りにロープがある
第2の曲輪を超えると堀切がある。
曲輪の南側に数本の竪堀があった。
畝状空堀(うねじょう空堀)といって竪堀が連携していいる。
竪堀同士がつながり、縦の移動も阻止する効果を発揮している。
これは強力な防御施設だ。
東の城の第2曲輪の南側にひな壇状の曲輪群がある。
状況を確かめるため2メートルほどの切り岸を下る。
西へ移動すると竪堀があった。

大野城 東の城 竪堀の中を歩く
そして西の城へと足をすすめた。平坦な道を200メートルほどいくと
小さな曲輪に当たる。
西の城は2つの曲輪群からなっている。
最西端に4メートルほどの切り岸がある。
大野城の見所の1つでもある。
紀伊大野城 山城巡り
地元でも知る人がほとんどない山城 大野城
事前情報が少なく、現地での情報収集に期待したが、これまた結構苦戦した。
スポーツ道具販売店の方 駅員の方 果物屋さん、それこそ道行く高校生に尋ねながらの山城攻略だった。
山城を攻略するための手がかりは、コミュニケーション力だと思った。
地元の人たちに積極的に話しかけて情報を集める。
それも楽しみのひとつになっている。
ありがとうございました(^^)/
2017年2月11日土曜日曇りのち雪
佐藤元相